象耳泉奘
ナビゲーションに移動
検索に移動
象耳 泉奘(しょうに せんしょう、永正15年(1518年) - 天正16年(1588年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての僧侶。今川家の一族。唐招提寺の第57世。
略歴[編集]
今川氏親の子で今川義元の兄とされる[1]。ただし信頼できる同時代の史料に明確に血縁関係を記録したものはない[1]。『招提千歳伝記』や『続々群書類従』では「駿州今川氏の人」と記録があり、天正16年(1588年)に71歳で没したとあるため、逆算すれば永正15年(1518年)生まれとなる。また象耳泉奘自らが弘治3年(1557年)に記した記録である『南山北義見聞私記』では今川氏輝の没後に起きた今川義元と玄広恵探の間に起きた花倉の乱に巻き込まれたとあるため、その事からも彼が今川義元の兄であると見られている。
遍照光寺の住持、京都泉涌寺の長老、そして奈良唐招提寺の長老となり[2]、71歳まで生きた。