見性寺 (徳島県藍住町)
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見性寺(けんしょうじ)とは、徳島県板野郡藍住町0勝瑞字東勝地176に存在する寺院である。宗派は臨済宗妙心寺派。山号は龍音山。
概要[編集]
勝瑞駅の北西の勝瑞城跡に存在する寺院。この寺があった場所に勝瑞城の本丸があったと見られている。
阿波国の守護・小笠原長房の子・小笠原長久が父の追善供養のため、居城の岩倉城の近くに宝珠寺(ほうしゅじ)という寺院を建立したのが起源である。後に三好長慶の父である三好元長がこの地に移して寺の名も見性寺と改名した。
三好氏は長慶の死去により没落し、その戦乱により寺院も荒廃した。江戸時代前期の延宝年間(1673年から1681年)になって、興源寺の頑捜という人物によって再興がなされた。この頃、寺の場所は現在より300メートルほど西に離れていたが、享保8年(1723年)に本丸跡の現在地に移されている。
この寺院の境内には、長慶の曽祖父・三好之長や父の元長、そして弟の三好実休とその嫡男・三好長治ら三好一族の墓がある。また、勝瑞城の落城の際に焼死したとされている城兵の霊を慰めるため、天明3年(1783年)に建てられた勝瑞城義冢碑がある。寺宝には絹本著色三好長基(元長)像、三好長輝(之長)像各一幅がある。室町時代の大和絵独自の武家肖像画で、徳島県の文化財に指定されている。