西谷藩
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西谷藩(にしやちはん)は、江戸時代中期の短期間に能登国に存在した藩。現在の石川県七尾市にあった。
概要[編集]
元禄11年(1698年)5月、備後福山藩主・水野勝岑が2歳で早世した。2歳の幼児に嗣子はおらず、福山藩は無嗣断絶により改易となった。しかし、水野家は譜代の名門で、その宗家であるという経緯から、水野勝直の長男・勝長に能登国鹿島郡・鳳至郡・羽咋郡・[珠洲郡]]など4郡の内に1万石を与えられて、西谷藩が立藩した。
元禄12年(1699年)、勝長は徳川綱吉の小姓となり、従五位下隠岐守に叙任。元禄13年(1700年)10月、勝長は下総結城藩に移封され、西谷藩はわずか2年で廃藩となり、その所領は以後は幕府領となった。
歴代藩主[編集]
- 水野家〔宗家〕
譜代 1万石