葛西盛衰記
ナビゲーションに移動
検索に移動
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は葛西正信。成立は奥書に文禄2年(1593年)9月3日とあり、それによると「葛西平次郎正信が書き置いた物を、葛西牢人の及川久馬備頼が相伝して、及川左膳広頼がこれを写す」とある。つまり成立したのは安土桃山時代なので、かなり早くに成立したものと言える。なお、葛西正信とは戦国大名としては葛西氏の最後の当主である葛西晴信の次男である。
別称は『奥州葛西記』(おうしゅうかさいき)、『葛西記』(かさいき)、『奥州葛西実記』(おうしゅうかさいじっき)など。
内容[編集]
鎌倉時代から安土桃山時代まで続いた名族・葛西氏の400年に及ぶ歴史を、始祖の葛西清重から第17代の晴信まで簡潔にまとめたものである。
最初は奥州藤原氏が滅亡し、その恩賞として源頼朝から清重が奥州の内、5郡を与えられたところからである。その後は葛西氏の歴史をまとめているが、やはり著者が晴信の息子のためか、晴信の時代における事績が多い。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥羽仕置により葛西氏は改易となるが、晴信はこれに従わずに抗戦。秀吉の命令を受けた蒲生氏郷の討伐を受けて、晴信は切腹し、著者の正信は兄の氏信、弟の久信と共にどこかへ落ちて行ったことになっている。