興教院殿(こうきょういんどの、? - 寛永18年6月28日(1641年8月4日))は、江戸時代前期の女性。後北条氏の一族。兄弟に氏則、三郎四郎。
北条氏光の長女。母は早川殿の侍女で今川氏の家臣だった富樫氏賢の娘(富樫殿)[1]。
江戸城御女郎衆となって徳川氏に仕え、斎宮様と称された。寛永18年(1641年)6月28日に死去。法名は興教院殿雲峯宗寄大姉[1][2]。