北条 氏則(ほうじょう うじのり、? - 寛永13年5月22日(1636年6月25日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。後北条氏の一族で徳川氏の家臣。子に氏清、氏春、涼樹院殿(北条氏長室)、娘(戸田氏室)のほか氏名不詳の息子1人、娘1人が確認できる。
北条氏光の長男。母は早川殿の侍女で今川氏の家臣だった富樫氏賢の娘(富樫殿)[1]。
天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条家が滅びた後、氏則は徳川家康に仕えた。仮名は新太郎。官途は内匠[1]。
寛永13年(1636年)5月22日に死去。法名は東陽院湖室[1]。