北条 三郎四郎(ほうじょう さぶろうしろう、? - 寛永18年4月20日(1641年5月29日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。後北条氏の一族で徳川氏の家臣。兄に氏則。姉か妹に興教院殿。
北条氏光の次男。母は早川殿の侍女で今川氏の家臣だった富樫氏賢の娘(富樫殿)[1]。
寛永18年(1641年)4月20日に死去。法名は松岳院宗正大禅定門[1]。