脇坂安治(わきざかやすはる)は、室町時代から江戸時代にかけての武将。
賤ヶ岳の七本槍の一人。1556年、近江国にて出生。明智光秀に最初仕えたが、山崎の戦いの後に豊臣秀吉に仕える。1583年の賤ヶ岳の戦いの時、賤ヶ岳の七本槍として数えられた。1600年の関ヶ原の戦いで西軍についたが、石田三成を裏切り徳川方につく。1626年、死去。