美濃路

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美濃路(みのじ)は東海道の宮宿(熱田宿)と中山道の垂井宿とを結ぶ脇往還(脇街道)である。宮宿(熱田宿)から桑名宿への東海道の難所「七里の渡し」の海路を避けるバイパスとなっていた。

概要[編集]

江戸時代には五街道に準ずる重要な街道とされていた。名古屋宿清須宿稲葉宿萩原宿起宿墨俣宿大垣宿を経由する約60kmの街道である。1600年の関ヶ原の戦いでは、東軍の先鋒である福島正則が行軍した。徳川家光の上洛時や朝鮮通信使などの通行にも使用された。

明治時代、両京間で中山道幹線前提で鉄道が着工され、武豊からの資材の陸上げ名目に名古屋駅から岐阜大垣と北進。両京間のルートが東海道経由に変更されてもそのまま活用された。

その他[編集]

  • 大垣は城下町ながら、中山道は北寄りを通過し、街道は美濃路が中心だった。というのも、江戸時代は地下水が自噴するような低湿地だったためである。
  • 稲葉宿のあった稲葉村は、明治初期に近隣の小沢村と合併し、稲沢の地名の由来となった。