美作太平記
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美作太平記(みまさかたいへいき)とは、美作国に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者不明。ただ、戦国時代の後藤氏についての記述が目立つため、後藤氏の関係者であろうか。
成立年代も不明だが、江戸時代に美作津山藩主となった森氏の治世までを描いていることから、少なくとも江戸時代前期以降に成立したものと思われる。
内容[編集]
美作国の事績を、古代から江戸時代前期の津山藩主となった森氏の時代まで描いている。ただし、特に重点が置かれているのは戦国時代の事績である。全11巻5冊。
『太平記』の名称については、戦国時代の美作国が多くの戦国大名に囲まれて衝突する軍事地帯だったため、つまり南北朝時代の『太平記』そのものの乱世だったことから名づけられたものと見られている。年代記述を重要視して表記しており、史書の体裁を整えて最後に地誌を附している。
- 巻1 - 平安時代の美作について。美作の各豪族の家の由来についてなどを記している。
- 巻2 - 南北朝時代について。後醍醐天皇が元弘の乱で隠岐国に流罪になる際、児島高徳が詩を彫り付けた「院の庄」の故事など。
- 巻3 - 赤松氏の来歴について。赤松氏と山名氏の戦い。そして戦国時代に入って尼子氏が台頭し、尼子氏の支配下に入るまで。
- 巻4 - 毛利元就の拡大、それによる美作国の豪族の争いや尼子氏の抵抗など。
- 巻5 - 毛利氏の拡大、それに対する宇喜多氏の動向、そして美作における後藤勝基の抵抗など。
- 巻6 - 天正7年(1579年)4月から5月にかけて行われた後藤勝基ら美作国衆と宇喜多直家の戦いについて。
- 巻7 - 前巻と同じ。
- 巻8 - 美作国衆の敗北、後藤勝基の自害、その後の美作の戦いなど。
- 巻9 - 尼子氏、毛利氏の美作にある城が宇喜多軍により落とされていく過程について。
- 巻10 - 宇喜多軍により落とされた国衆の諸家が、没落から再興していく過程について。
- 巻11 - 関ヶ原の戦いで宇喜多秀家が改易。その後の美作の諸家について、そして津山藩の森忠政の移封について。そして、「美作太平記・地理の巻」が加えられている。
巻5から巻8は、『三星軍伝記』とほぼ同様の記載があるため、恐らく転載であると思われる。また、巻8から巻9の記事は『美作古城合戦記』にある記載がそのまま挿入されている。