籠池泰典

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

籠池 泰典(かごいけ やすのり、1953年2月7日 - )は、前森友学園理事長園長。現在、学校法人籠池学園理事長・社会福祉法人肇國舎代表・教育者社会運動家。妻・籠池諄子。子に籠池佳茂籠池町浪籠池照明籠池まゆみ香川県高松市出身。

経歴[編集]

大きな海運業(籠池海運・陸運)の子息として誕生。

小学三年生の時、籠池会社が行き詰まり、兵庫県尼崎市の文化住宅へ移住。

高校卒業後、関西大学商学部で学び卒業。

卒業後、奈良県庁に入庁。

1979年に森友寛の娘(籠池諄子)と恋愛結婚

結婚後転職し、教育職にたずさわる株式会社サクラクレパスに勤める。

1983年、森友寛より児童教育後任を任せられ、塚本幼稚園副園長として奉職し、森友寛氏を支え、児童教育に邁進する。

1995年、検査の為入院していた森友寛が急遽亡くなる。事業拡大の借金と共に系列保育園にて労働運動が勃発。運営を労働組合が掌握した。籠池泰典と妻・籠池諄子は親族と労働組合に裏切られ、借金と無一文になる。それでも何とか必死の経営立て直しにより、幼稚園存続となる。その後、籠池泰典は妻・籠池諄子を真のパートナーとして幼稚園副園長を要請し、諄子は家庭を守りつつ、夫を支え、をつかない森友学園にする為、共に一生行動する事を誓い、教育者として夫と共に身を投じる。

2004年、『愛国行進曲』を運動会にて子供達と共に歌った事から左翼団体から批判殺到しデモを行い、自宅前まで糞尿をまかれた。

その後、日本国の教育を危惧し、「教育勅語」を教育の柱に据えることを決意し実践をする幼稚園へ変革する。

第二次安倍政権が誕生し、籠池夫婦と学園は支持。ここから日本国がよくなると「愛国主義」と共に、森友寛の事業拡大の一環であり、託されていた小学校建設の夢を現実とする為、妻・諄子と共に行動に移す。森友学園職員一同と娘である姉妹(籠池町浪籠池まゆみ)と共に瑞穂の記念小学院創立を日本国・日本民族の教育の為、全精力と資金を注ぐ。そしていよいよ認められ、認可が下り、4月より開校となる。

2017年4月に開校予定だった「瑞穂の国記念小学院」の認可申請を取り下げた。その後、安倍晋三総理の国会発言に伴い逆境・反響が籠池夫婦と家族・職員がいる森友学園・社会福祉法人肇國舎に影響する。

2017年3月23日、衆参両院の予算委員会で証人喚問が行われた。

2017年3月30日、新理事長に籠池町浪が就任する。籠池泰典は理事長職を退任し、妻の籠池諄子も幼稚園から退任。保育園である肇國舎の経営に奉職する。長女と次女に森友学園塚本幼稚園を託し、認可取り下げた責任を全て被る。娘・籠池町浪が民事再生法を提出。籠池夫婦は長女との連絡や関係を絶たれるが、次女と関係を保ち、家族の繋がりを維持する。

国と大阪特捜部が中心に幼稚園・保育園・自宅と共に親族関係者へに強制国策捜査が行われる。全て押収されてしまう。

籠池夫婦は安倍総理衆議院選挙へ傍聴していたが、安倍総理の発言「こんな人たちに私たちは負けるはずがない。」にて直接直訴行動を行う事となる。

直訴行動後、寄付金の記憶がないとの安倍昭恵夫人よりFacebookにて寄付金を全面否定される。

7月10日 大阪府議会にて参考人招致

大阪地検特捜部は7月31日、国から補助金を不正に受給した疑いで社会運動をする森友学園問題の籠池夫婦を逮捕するに至った。

その後、300日にも及ぶ人質勾留が行われた。その間に大阪府より肇國舎保育園の認可取り消され閉園。(幼稚園である開成幼稚園も同じである)

勾留釈放後、籠池夫婦は保釈記者会見を行う。

籠池自宅も競売され、自宅を立ち退き。次女の扶養家族になり無一文と少しの蓄えで籠池夫婦は次女が中心となり共に暮らしている。 その後、援助者(左翼系・右翼系・中道系)により、夫婦そろって全国へ講演会・政治懇話会・各マスコミ・新聞社インタビュー・書籍出版・カジノ誘致反対運動等、様々な社会運動を行っており、2019年からの裁判を夫婦ともに「まっすぐ正々堂々と戦います。」と述べる。

2019年3月6日午後2時から大阪地裁で初公判が正式に開かれる事となった。

初公判日、実母が6日深夜0時過ぎに亡くなった。

初公判において、非は認める所は実直に謝罪をし、その上で自身は別件逮捕をされたと主張。小学校の建設や開校については、政治家からの賛同はあったものの、後に安倍晋三首相には保身に走られた旨の意見陳述書を読み上げ、「口封じのための国策捜査」と述べた。そして、最後を俳句で締めくくった。

保釈後、5ヵ月で明け渡さざるを得なかった籠池家自宅が2019年5月7日には姿がなくなり更地となっていた。

高等森友学園保育園が2019年5月10日(金)午後12時頃、本格的な解体作業が始まり、全ての建物から植林まで撤去後、更地となってしまった。

人物[編集]

  • 憲法九条改憲改正に反対(天皇陛下のお考えの通り)」
  • 第二次安倍政権から夫婦で反対の立場をとる。「働き方改革カジノ法案、ばくちを広める法律からアメリカの言いなりなど、昭和初期から開戦前夜に至る状況だと危惧している。安倍昭恵夫人とも深い繋がりを持っており、夫婦で交流をしていた。
  • 瑞穂の国記念小学院創立にあたり、大阪國學院通信教育にて神道の資格と修行も多忙の中学び、資格取得が認められたが、森友学園問題により大阪國學院より神職を認めない通知が届いた。
  • 大阪府議会参考人招致にて「当時の顧問弁護士であった酒井康生弁護士に土地取得・校舎建設・大阪府との折衝等の全て交渉を一任していたが、当時から報告がほとんどなく、籠池夫婦も実態がどの様であったのか皆目見当もつかないのが実態。近畿財務局・建設業者・大阪府私学等とどのような折衝をしていたか、私学認可取り下げ2月から3月10日至るまでは酒井弁護士のアドバイスだけに従い、府のご要望に御返事していた。この間、森友学園と大阪府との間にどのような交渉があったのか分からず、酒井弁護士の方が担当者として遥かに詳しい。酒井弁護士にお尋ねになった方が真相究明となるのは明らか。当方との守秘義務。酒井弁護士の為にも籠池氏は大阪府議会参考人招致にて解除する事を正式に全国(日本国・世界)へ宣言した。
  • 小学校建設は義理父の森友寛のかねてからの教育理念であり、後任として託された。小学校認可を無念ながら取り下げ、森友学園理事長を妻・諄子と共に退任し、後任を長女・籠池町浪と次女・籠池まゆみに全てを託し、新たな森友学園改革には一切口を出さず見守っており、全ての罪を夫婦で背負う。だが罪については妻・諄子へは一切罪がなく冤罪であるはっきりと偽りがない事を明言している。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]