笠原綱信
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笠原 綱信(かさはら つなのぶ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。受領名は美作守も称した[1]。
生涯[編集]
笠原氏は北条早雲が伊豆国に進出する以前から後北条氏に仕えていた譜代の家臣で、伊豆に多くの所領を所有しており、早雲から与えられたものと見られている[1]。
綱信の名の綱は北条氏綱からの偏諱と考えられる。史料上では大永7年(1527年)11月から天文19年(1550年)までは確実に所見されるため[1]、氏綱・氏康の2代に仕えていたものと見られる。その後の行方は不明。
子に同じ美作守を称する笠原為継がいると見られる。孫が笠原助三郎、曾孫が笠原千松と見られている。