竹村豊之助
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竹村 豊之助(たけむら とよのすけ、明治17年(1885年) - 昭和47年(1972年))は、高知県出身の実業家・政治家[1]。
生涯[編集]
高知県安芸郡土居村(安芸市)の生まれ。父は森沢松太郎。母は森沢喜久で3男。明治37年(1904年)に一中(追手前高校)を卒業し、高知市の清酒・若竹の醸造元である竹村竹太郎の婿養子となり、5年後に家督を継承する。大正2年(1913年)から高知市議を4期ほど務めた[1]。
昭和2年(1927年)から10年ほど、酒造同業組合長を務める。昭和3年(1928年)に高知商工会議所で醸造業を代表して2号議員となり、昭和4年(1929年)に商工会議所法に基づく最初の選挙で定員8人の常議員の一人として当選を果たす。昭和5年(1930年)の清酒醸造高は523石、灘からの移入酒販売高は500石であった[1]。
昭和19年(1944年)に太平洋戦争中の企業整備令により、高知市や長岡郡、土佐郡、吾川郡の1市3郡の28社が統合して高知酒造を設立し、銘柄を「花の友」とし、取締役に就任し、のちに会長となる。戦後の昭和24年(1949年)の花の友種類卸商協組を設立し、専務理事・理事長を努める[1]。
昭和47年(1972年)に死去[1]。87歳没。
冷蔵送致を導入するなど酒質の向上に努め、全国清酒品評会で1等賞をとり、近畿清酒品評会では優等賞を獲得している[1]。