神森出雲

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神森 出雲(こうのもり いずも、? ‐ 永禄4年9月23日[1]1561年10月31日))は、戦国時代武将本山氏家臣

生涯[編集]

姓については鴻森・高森・河野森とも書かれる。本山茂辰に仕え、土佐国土佐郡神森城の城将を務めた[1]

永禄4年(1561年)に長宗我部元親の命令を受けた福留儀重中島親吉の攻撃を受け、城の水路を断たれて苦しめられたが、白米を水と見せかけてこれを馬で洗う様子を長宗我部軍に見せることで屈しなかったという逸話がある。しかし、長宗我部軍に間道を上られて遂に火をかけられたので、自害した。死後、出雲の怨霊の祟りにより、盆祭りの夜に山上で怪火が上がるという伝説が作られた[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 山本大「長宗我部元親のすべて」P195

参考文献[編集]