田中信祐
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田中 信祐(たなか のぶすけ、文政9年(1826年) - 明治26年(1893年))は、日本の男性。内閣総理大臣・陸軍大将であった田中義一の父[1]。
略歴[編集]
父は長州藩の藩士・杉山音松で次男。嘉永3年(1850年)に継嗣が断絶した遠縁の田中勇蔵の家督を相続した。毛利敬親に仕えて藩の足軽頭を務め、参勤交代の際の藩主の駕籠側警護侍となった。明治維新後は収入を失って菊屋横丁の家を引き払い、現在は萩市になっている平安古村に転居し、雨傘作りの内職で生計を立てた[1]。
妻は田中美世。その間に長男の田中祐可、そして次男の義一がいる。
明治26年(1893年)に67歳で死去[1]。