田中 美世(たなか みよ、天保元年(1830年) - 明治40年(1907年))は、日本の女性。内閣総理大臣・陸軍大将であった田中義一の母[1]。
父は長州藩の郷士・阿部五郎右衛門で長女。生家は明木村(現在の萩市の一部)にあった。当初は曾禰氏に嫁ぎ、1男(長男・曾禰千町)を産んだが、間もなく夫と死別したため田中信祐に嫁ぎ、そこで美世にとっては次男の田中祐可、そして3男の義一を産んだ[1]。前夫との娘である千町は田中家に連れ子として連れて行って育てたが、曾禰姓を名乗らせている。
明治40年(1907年)に77歳で死去[1]。