生駒 親清(いこま ちかきよ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。通称は市左衛門。諱は近清・吉一ともいう[1]。
美濃出身[1]。父は生駒親重で次男[1]。生駒親正の弟[1]。父や兄とともに織田信長に仕え、天正5年(1577年)3月に紀伊雑賀攻めに従軍する(『信長公記』『生駒家譜』)。天正5年(1577年)11月16日と天正7年(1579年)4月12日に薬師寺に対して朱印状発給のことを伝えており、信長の近習を務めていた可能性がある(『薬師寺文書』)。荒木村重の摂津有岡城攻めにも従軍し、高槻城や古屋野・池上の番衆も務めた(『信長公記』)。