煙草禁止令
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煙草禁止令(たばこきんしれい)とは、慶長14年7月14日(1609年8月13日)に江戸幕府が発令した法令である。
概要[編集]
煙草はポルトガルによって鉄砲と共に日本に伝えられたとも、織田信長の時代に九州に来航したポルトガル人により伝えられたとも言われる。それが日本では急速に拡大し、慶長年間の時点では各地で栽培されるようになり、慶長10年(1605年)の記録では日本全国で栽培が行なわれていたようである。武士や町人などが主だったが、やがて子供まで拡大するようになり、そのため煙草中毒に陥って悶絶死したり、煙草の不始末から火事も発生していた。
慶長14年(1609年)4月には、京都において「荊組」「皮袴組」という喫煙を通じて徒党を組む愚連隊のような輩が現れたので、幕府は容赦なく摘発した。しかし、このような事態を受けて征夷大将軍・徳川秀忠はその事件から3か月後に煙草禁止令を初めて発令した。
ただ、世界を問わずに1度広まった喫煙を禁止するというのはなかなか簡単ではない。法令の効果はあまり見られず、秀忠は翌年以降もたびたび発令した。さらに禁止令を遵守させるために煙草の栽培を中止させる作付禁止令も出した。
後に寛永19年(1642年)になり、徳川家光の時代に煙草の作付については本田畑以外ならば認めるという法令を出して緩和している。