瀬戸山城
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瀬戸山城(せとやまじょう)は、島根県飯石郡飯南町下赤名にあった日本の城。別名を赤穴城・赤穴瀬戸山城・衣掛城という。
概要[編集]
赤穴八幡宮と赤名の町並みを挟んだ東側の標高724メートルの瀬戸山にあった城である。
築城に関しては不詳な点が多い。室町時代前期に赤穴常連が築城したと言われているが、それ以前から存在した記録もあるため、不詳としか言いようがない。この城は出雲国・石見国・安芸国の3か国の国境に位置する戦略的に重要な拠点だったため、大内氏・尼子氏・毛利氏による争奪戦が繰り広げられた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、城主の赤穴氏は主家の毛利氏に従って長州藩に移ったため、恐らくこの時に廃城となった。現在は石垣の一部と石段の大手道が残っており、本丸や2の丸なども原型を現在に伝えている。
外部リンク[編集]
外部リンク[編集]
- 瀬戸山城周辺マップ(飯南町の歴史と文化-地図で辿る歴史と文化)