河村 縄興(かわむら つなおき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。官途は隠岐守[1]。
武田信縄、信虎に仕えた家臣。諱の縄は信縄の偏諱と推測される。信虎と油川信恵の家督抗争では河村重家が油川方に与したのに対して、信虎に協力した。あまり主だった活動は見られない。大永2年(1522年)に伊勢神宮御師幸福大夫に対して書状を出している[1]。
武田信玄・勝頼に仕えた河村下野守や河村下総守は縄興の息子か近親者と推測される[1]。