永楽董太后

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

永楽董太后(えいらくとうたいごう、? - 189年)は、後漢末期の女性。後漢の皇族・解瀆亭侯・劉萇の妻。その間に生まれた息子の劉宏が霊帝として即位したため、皇太后となった。甥に董重董承[1]

生涯[編集]

董太后は181年王栄何皇后により毒殺されると、その息子の劉協を養育し、霊帝に劉協を皇太子にするよう薦めて何氏と対立した[1]。189年に霊帝が崩御すると何進何苗らによって董太后は洛陽から追放され、甥の董重が何進らによって自殺させられると、太后も恐怖で病を発して憂悶の内に死去した[1]

三国志演義』でも同様に劉協の擁立を宦官と共謀して謀って失敗し、何進により殺されている。

脚注[編集]

  1. a b c 小出『三国志武将事典』P406

参考文献[編集]