何苗

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何 苗(か びょう、? - 189年)は、中国後漢末期の武将。字は叔達(しゅくたつ)。本姓(しゅ)。異父妹は何皇后何進とは血が繋がっていない上での兄弟関係にある[1]

生涯[編集]

何苗の母の舞陽君は何進の父・何真の後妻で何皇后を生むが、何苗は前夫の朱氏の息子である[1]。異父妹が皇后になると河南尹に任命され、賊の鎮圧に貢献する[1]。その後、車騎将軍に累進し済陽侯に封じられた[1]

何進とは不仲であったため、宦官は何苗と舞陽君に取り入って何進と対抗する[1]。189年に何進が宦官に謀殺されると、宦官と共謀して何進を殺害したとみなされ、呉匡董旻によって殺害された[1]

三国志演義』では呉匡に殺されている。

脚注[編集]

  1. a b c d e f 小出『三国志武将事典』P32

参考文献[編集]