徐夫人
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徐夫人(じょふじん、生没年不詳)は、後漢末期から三国時代にかけての呉の女性。孫権の側室[1]。
生涯[編集]
平慮将軍であった徐琨の娘[1]。揚州呉郡富春県の出身[1]。徐琨の父の徐真は孫堅の妹婿なので、徐夫人はその妹の孫に当たる。
最初は同郷の陸尚に嫁ぐ[1]。しかし陸尚が亡くなったので孫権と再婚して妃となり、その長男である孫登の母親代わりとして養育を務めた[1]。しかし徐夫人は嫉妬深いということで孫権から後年に離縁されたが、なおも呉には留まった[1]。229年に孫権が皇帝に即位し、孫登が皇太子に封じられると、家臣からは徐夫人を皇后に立てるように嘆願があったが、孫権はそれを許さないまま徐夫人は病死した[1]。
『三国志演義』では孫登の生母という設定にされている。