楽綝

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楽 綝(がく ちん または がく りん、? - 257年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将。父は楽進。子は楽肇

生涯[編集]

父と同じ風格があり、剛毅果断な性格であった[1]218年に父が死去すると跡を継ぎ、魏の揚州刺史にまで昇進する[1]。257年の諸葛誕の乱の際、司馬昭の与党と見なした諸葛誕に攻められて殺害された[1]。死後、衛尉を追贈され慰侯と諡され、子の楽肇が跡を継いだ[1]

三国志演義』では名将同士の息子という事で張虎とペアを組まされて第98回で登場。しかしやられ役であり、第100回では張虎・戴陵と共に諸葛亮に敗れて捕虜となった上に裸にされて身体中に墨を塗られて返されるという侮辱を味わされている。最後の北伐では呉班を討ち取るなどやや挽回している。第111回の最期は史実と同じである。

脚注[編集]

  1. a b c d 小出『三国志武将事典』P251

参考文献[編集]