楠木正勝
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楠木 正勝(くすのき まさかつ、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。楠木正儀の長男と言われ[1]、これが事実なら楠木正成の孫という事になる。他の兄弟に正秀、正元、正則。義兄弟に津田正信がいることになる。官途は右馬頭。
生涯[編集]
正勝の事跡は兄弟の正秀の事跡と混同されていることが少なくないため、不明な点が現在でも多いのが実情である[1]。
『南狩遺文』元中7年(1390年)4月4日付伊予守某奉書では「楠木右馬頭」の名が見え、これは正勝とされている[1]。『応永記』では応永6年(1399年)11月、応永の乱で大内義弘を助けて和泉堺で足利義満率いる室町幕府の軍勢と戦ったという[1]。
また、曹洞宗の禅僧であった傑堂能勝を正勝の出家した後身とする説もある[1]。