楊 秋(よう しゅう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の武将。涼州の小軍閥の一人[1]。
河東郡の出身[1]。211年3月に馬超・韓遂と共に曹操に対して反乱を起こしたが、敗れて安定郡に逃走する[1]。しかしそこも10月には夏侯淵や張郃に攻められて降伏する[1]。文帝の時代には討寇将軍・特進へ昇進し、臨涇侯に封じられて天寿を全うした[1]。
『三国志演義』では韓遂の手下八部の一人とされ、韓遂が曹操への降伏を決断した際に使者となる。曹操から列侯に封じられた。