森沢勇
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森沢 勇(もりさわ いさむ、明治40年(1907年) - 昭和59年(1984年))は、高知県出身の日本の実業家。
生涯[編集]
大正9年(1920年)に土居小学校を卒業。大正14年(1925年)に県立第二中学(現在の安芸高校)を卒業。昭和5年(1930年)に山梨高等工業土木工学科卒業(現在の山梨大学)。その後、間組に入社し、地下鉄工事や国鉄網代トンネル工事、伊予鉄面河発電所工事などに従事した[1]。
昭和19年(1944年)に北支那支店に勤務し、大原や鄭州などで鉱石の採取や橋梁工事に従事した。昭和21年(1946年)、羽田空港や沖縄県の国道1号線、中部電力の発電所工事に従事した。昭和37年(1962年)に取締役、昭和44年(1969年)に常務、昭和48年(1973年)に副社長、昭和51年(1976年)に取締役相談役に就任した。昭和59年(1984年)に77歳で死去[1]。
「現代高知の100人」において、森沢は「僕は自分の無力感や弱気に取り合わないで、無力は無力のまま、弱気は弱気のまま、ただやるだけは思い切りやろうという気になっていた。この考えは土佐の生んだ碩学精神科医、森田正馬博士の教えるところでもある。今僕が強く関心を持つ一つは、利欲のために日本の美しい自然を破壊し、多くの人の命を損なって恥としない暴力の存在である。再び元に返すことのできない自然と命を守り抜きたい」と術介している。