梶佐古道尋

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梶佐古 道尋(かじさこ みちひろ、? ‐文禄元年(1592年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏家臣

略歴[編集]

通称は源左衛門。父は柳瀬五郎兵衛で3男。土佐国香美郡韮生郷梶佐古に移った際に改姓したという[1]

長宗我部元親に仕え、天正12年(1584年)に梶佐古で1町の土地を元親から与えられた。文禄の役の際、元親の出兵の諸準備を担当。自らは同年の朝鮮半島において戦死した[1]

元親はかなり信任していたらしく、天徳法岸居士の法名を自ら与えている。さらに4男の盛親すらその死を悼み、野中親孝遺族を扶助するように命じている[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 山本大「長宗我部元親のすべて」P189

参考文献[編集]