桜井信忠
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桜井 信忠(さくらい のぶただ、天文2年(1532年)[1] - 慶長15年(1610年[1]))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。後に徳川家の家臣。父は桜井信定。母は武田信虎の妹。妻は小幡虎盛の娘。初名は信富。官途は右近助。受領名は安芸守。
生涯[編集]
武田信玄、その没後は武田勝頼に仕えた家臣で、桜井氏は甲斐武田氏の支流の一族である[1]。勝頼期には市川元松と共に武田家の奉行として内政を管掌した[1]。武田家滅亡後は徳川氏に仕えて旧武田家臣として甲斐支配を支える4奉行のひとりとなり、内政を担当した[1]。
Wikipedia日本語版では天正元年が1532年と表記されているなど、出鱈目な記述がなされている。