東南海地震
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東南海地震(とうなんかいじしん)とは、1944年(昭和19年)12月7日午後に紀伊半島東側を震源として発生したマグニチュード7.9の巨大地震のことである。1000人以上の死者を出したとされるが、記録などがはっきりしない。これは太平洋戦争の最中に発生したため、警察の情報統制により情報が隠蔽されたためである。そのため「隠された震災」とも言われる。
概要[編集]
マグニチュード7.9の大地震が発生後、津波が発生し、死者と行方不明者は気象庁によると1183人、全壊及び流失家屋は2万戸に上ったとされている。関東から九州にかけての太平洋沿岸にある南海トラフのうち、紀伊半島東側が震源域と推定され、急造された軍需工場が集まる東海地方の被害が特に大きかった。しかし、当時は太平洋戦争の最中であり、この地震により国民に厭戦気分の拡大が起きることを恐れた警察によって情報統制が行なわれ、新聞やラジオなどでは地震については大きく報じられなかった。
そのため、戦後40年ほどたってから名古屋大学名誉教授・飯田汲事らによって地方自治体などに残っていた記録を集めてこの地震の全体像をまとめ、平成17年(2005年)になって内閣府の専門調査会が報告書を作成し、さらに学徒動員されて軍需工場で地震に遭った生徒の手記、各地の慰霊碑の碑文なども史料のひとつとして集められた。
ちなみに、この2年後に紀伊半島西側を震源とするマグニチュード8.0の昭和南海地震が発生している。この地震による被害も甚大であったが、抜本的な地震対策が取られなかったため、結局耐震性が低い建築物を使い続ける結果となり、それが多くの悲劇を招いた可能性もある。