李福

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

李 福(り ふく、? - 238年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家。字は孫徳(そんとく)[1]。父は李権。子は李驤。孫は李寿

生涯[編集]

益州梓潼郡涪県の出身[1]劉備に仕え、劉備の入蜀後に書佐・西充国長・成都県令と要職を歴任する[1]巴西郡太守江州督、揚威将軍と歴任して中央から招聘され、尚書僕射に任命される[1]234年諸葛亮が最後の北伐で危篤状態になると使者として派遣され、国家の大計について諮問した[1]。さらに数日後に再度諸葛亮と会い、諸葛亮が死去した場合の後継者を尋ね、諸葛亮から蔣琬、そしてその次は費禕にするように聞かされてから成都に帰還した[1]

238年、蔣琬が漢中郡に出陣した際に従軍したが、その際に病に倒れて陣没した[1]

三国志演義』でも史実同様に諸葛亮の遺言を聞く人物として登場している。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 小出『三国志武将事典』P380

参考文献[編集]