李勝

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李 勝(り しょう、? - 249年)は、中国三国時代政治家荊州刺史公昭(こうしょう)[1]

生涯[編集]

父は張魯の家臣であった李休[1]明帝の時に軽薄な言動を理由に官職を剥奪された[1]。しかし明帝が崩御して曹芳の時代になるとその後見人となった曹爽に取り立てられて復職し、洛陽県令に任命された[1]244年興勢の役では征西将軍の夏侯玄の長史として従軍するが軍の前に大敗した[1]248年冬、荊州刺史として赴任する前に曹爽の意を受けて逼塞していた司馬懿の下に赴き、病気療養中と称する司馬懿の芝居を真に受けて重病に倒れていると曹爽に報告して油断してしまい、翌年の高平陵の変となる[1]。この政変で李勝も曹爽一派として処断され、その三族も皆殺しにされた[1]

三国志演義』でも史実と同様に司馬懿の芝居に騙されて翌年の政変で処断されている。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 小出『三国志武将事典』P244

参考文献[編集]