朱治
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朱 治(しゅ ち、156年 - 224年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将・政治家。字は君理(くんり)[1]。子は朱才・朱紀・朱緯・朱万歳。養子に朱然。孫に朱琬。孫堅・孫策・孫権と孫家3代に仕えた宿老。孫堅とは同年の生まれである。
生涯[編集]
揚州丹陽郡故鄣(現在の浙江省安吉県)の出身[1]。最初は孫堅に仕えて各地を転戦するが、192年に孫堅が戦死したため孫策と共に袁術の下に身を寄せてその補佐を務めた[1]。しかし孫策が袁術に不遇に扱われたため、朱治は江東で自立するように孫策に進言した[1]。200年の孫策の死後は孫権に仕え、張昭と共に孫権を補佐して異民族対策を主に務めた[1]。223年に安国将軍となり、翌年に69歳で死去しているが、その亡くなるまでの31年間を呉郡太守として務めている[1]。
『三国志演義』では第15回で孫策に史実どおり江東平定を勧めている。第44回で赤壁の戦いの前哨戦となる三江口の戦いに参加し、長命の割に以後は登場しない。