有楽町スバル座
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有楽町スバル座(ゆうらくちょうスバルざ)は東京都千代田区の有楽町ビルでスバル興業が経営している映画館である。スバル座と略称で呼ばれることが多い。
概要[編集]
昭和20年(1945年)8月に日本が太平洋戦争に負けて敗戦を迎え、日本は連合国軍総司令部(GHQ)に占領される。そのGHQはアメリカ映画協会を組織し、日本への配給権を配給会社セントラルに移管して、映画を通じた日米関係の友好化、啓発を図ろうとした。一般への封切に先立つこと2週間、米国映画を上映するロードショー劇場を設ける動きが進み、その中で昭和21年(1946年)2月に映画興行を目的に創業されたスバル興業がセントラルと契約し、日本初のロードショー劇場となる。当時、映画館は自由席で、料金は3円から4円50銭程度であった。ところが丸の内スバル座は指定席を導入し、料金を1回15円の高級館とした。
昭和28年(1953年)9月、丸の内スバル座は漏電によるとされる火災で焼失。昭和41年(1966年)に有楽町ビルヂングにおいて有楽町スバル座として再出発する。日活の提携劇場として邦画を1年半上映するが不振であり、昭和42年(1967年)には提携を解消される。このため、同年に新たに東宝と提携し、再度洋画系ロードショー劇場として米映画を放映し、これが大ヒットした。同じ頃に「イージー・ライダー」やスヌーピーシリーズに恵まれたことも幸運だった。
平成19年(2007年)頃から地方発の映画を数多く上映し、全国にシネコンを拡大する。単館系の劇場が減少の一途をたどる中、国内外の小規模な映画を上映する受け皿となっていく。しかし、劇場の空調や配管の痛みなど施設の老朽化、改修に多額の費用がかかることなどから、令和元年(2019年)10月に閉館することが決定した。
関連年表[編集]
- 1946年 (昭和21年)
- 1953年 (昭和28年)
- 9月6日 - 丸の内スバル座が火事で焼失。
- 1966年 (昭和41年)
- 4月29日 - 有楽町スバル座が開業し、吉永小百合の「愛して泣いて突っ走れ」や石原裕次郎の「青春大統領」が上映される。
- 1967年 (昭和42年)
- 1970年 (昭和45年)
- 2019年 (令和元年)
- 10月 - 閉館予定。