曽根周防守

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曽根 周防守(そね すおうのかみ、? - 永禄8年(1565年))は、戦国時代武将甲斐武田氏家臣。父は曽根昌世。祖父は曽根虎長。曽祖父は曽根縄長

生涯[編集]

武田信玄の嫡男・義信の乳母子だったため義信と親しく、義信の信玄排除の謀議では義信に加担したという[1]。そのため義信事件発覚により処刑された[1]

脚注[編集]

  1. a b 柴辻俊六 『武田信玄大事典』新人物往来社、2000年、P62

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六 編 『武田信玄大事典』(新人物往来社、2000年)ISBN 4-404-02874-1