曽根縄長
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曽根 縄長(そね つななが、? - 享禄4年3月16日(1531年4月3日[1]))は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。父は昌長。子に虎長。
生涯[編集]
官途は掃部助[1]。受領名は三河守[1]。諱の縄は主君の武田信縄からの偏諱である[1]。父の生前から活動しており、大永2年(1522年)に父と共に東郡大工村天神社の修造で代官を務めている[1]。翌年の父の死去で家督を相続し、三河守を称した[1]。
享禄4年(1531年)3月7日、栗原兵庫を攻めるために武田信虎に従って東郡に進軍し、3月16日の河原辺合戦で戦死した[1]。
家督は嫡子の虎長が相続した。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6