曹邵
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曹 邵(そう しょう、? - 190年)は、中国の後漢末期の人物。字は伯南(はくなん)。子は曹真・曹彬・徳陽郷主(夏侯尚夫人)。曹操の親族にあたる。孫は曹爽・曹義・曹訓ら。
経歴[編集]
曹操の親族で曹真の実父に当たるとされているが、それは『正史』の記録によるもので、『魏略』では元の姓名を秦 伯南(しん はくなん)とされている。曹操が袁術に攻められて秦氏に攻められた際に、彼が身代わりになって戦死したという。そのため、曹操はその遺児の真に自分と同じ姓の「曹」を名乗らせ、厚遇したという。
『魏書』では曹操が董卓討伐戦に参加した際、曹邵は一族として参加したが、豫洲刺史の黄琬が曹操を殺害しようとして、曹邵だけが殺害されたという。
謎の多い人物で、記録も大きく分かれており、曹邵と秦伯南は別人という説もある。
『三国志演義』には登場しない。