曹 訓(そう くん、? - 249年)は、中国の三国時代の魏の皇族。
曹真の3男[1]。兄に曹爽・曹義。弟に曹則・曹彦・曹皚。明帝が崩御すると曹爽が国政の実権を掌握し、曹訓は武衛将軍に任命される[1]。曹爽と同じく享楽に耽って横暴な振る舞いも多く、次兄の曹義からの諫言も聞き入れなかった[1]。249年の正始の変で司馬懿に降り、兄や一族と共に処刑された[1]。
『三国志演義』でもほぼ同様である。