昭和金融恐慌
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昭和金融恐慌(しょうわきんゆうきょうこう)とは、昭和2年(1927年)に発生した日本の経済恐慌である。
概要[編集]
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により震災手形が大量に発生しており、昭和2年(1927年)に当時の憲政会の若槻礼次郎内閣は、震災手形の整理に着手していた。ところが、一部の銀行の不健全な経営内容が暴露された上、蔵相の片岡直温の失言(東京渡辺銀行の経営悪化について)により、銀行の取り付け騒ぎが発生する。結果的にこの騒ぎで台湾銀行、十五銀行(華族銀行)など37の銀行が休業し、鈴木商店は倒産するなど、経済界は未曽有の混乱に陥った。これに対して、若槻礼次郎内閣は緊急勅令を出して台湾銀行などの救済を図ろうとしたが、当時の枢密院を仕切っていた伊東巳代治や平沼騏一郎らは、若槻内閣の外相・幣原喜重郎による協調外交に強い不満を抱いていたので、勅令案を否決してしまう。これにより若槻内閣は内閣総辞職に追い込まれた。
その後、立憲政友会の田中義一内閣が成立する。田中は蔵相に髙橋是清を起用し、高橋は3週間のモラトリアムを発し、その間に日本銀行に非常貸出を行なわせて、ようやく事態を収拾させた。
結果[編集]
この金融恐慌により、五大銀行(三井・三菱・安田・住友・第一)の金融支配が確立する。また、三井は立憲政友会と、三菱は憲政会(後に立憲民政党)と結託して、産業界と政党が結託するようになった。また、カルテルが結成されるようになった。
外部リンク[編集]
- 「貨幣に見る近代日本金融史」 3-3 昭和2年金融恐慌(2012年1月21日時点のアーカイブ)
- 日本銀行金融研究所 貨幣博物館内『金融研究』巻頭エッセイ、片面印刷の乙二百円券(ウラシロ)と、使用されなかった片面印刷の五十円券のイメージがある
- 貨幣の散歩道 第51話 金融恐慌と裏白紙幣(2012年1月21日時点のアーカイブ)
- 日本銀行金融研究所貨幣博物館内 貨幣玉手箱
- 日本銀行百年史
- 日本銀行・法令目次(PDF)
- 日本銀行特別融通及損失補償法(昭和二年五月九日法律第五十五号).e-Gov法令検索. 総務省行政管理局
- 台湾ノ金融機関ニ対スル資金融通ニ関スル法律(昭和二年五月九日法律第五十六号)