明智孫十郎

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明智 孫十郎(あけち まごじゅうろう、? ‐ 天正10年6月2日1582年6月21日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将明智光秀家臣は不詳。

略歴[編集]

初名は杉生三右衛門(『実成坊過去帳』)。光秀は家臣に明智姓を下賜することが多かったので、恐らくその1人と推測される。

天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変に参加し、本能寺襲撃で先鋒を務めて織田信長を葬るのに一役買った。しかし、次に襲った二条御所攻撃の際に信長の嫡男織田信忠の激しい反撃にあって戦死した(『惟任謀反記』)。