日宮城
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日宮城(ひのみやじょう)とは、富山県射水市下条にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
現在の太閤山ニュータウンの西端にある台地の端が日宮城跡とされている。火宮城、二上山城、橋下条城とも呼ばれたという。城があった当時は記録によると深い谷や濠を備えた天然の要害で、また北陸道を制するための要衝でもあった。
この城は戦国時代に越中国の守護代・神保長職により築城されたと伝わっている。元亀3年(1572年)10月、甲斐国の武田信玄が織田信長・徳川家康連合軍に対する西上作戦を開始した際、越後国の上杉謙信に手薄になった武田領を突かれることを恐れた信玄は、加賀国や越中国の一向一揆、並びに越中国守護代の椎名康胤らに謙信の越中国における拠点・日宮城を攻めさせた。当時、日宮城は謙信に服従した神保覚広や小島職鎮らが守備していたが、一向一揆の強大な兵力の前に落城して彼らは石動山に逃走した。その後、一向一揆は本隊を連れてやって来た謙信によって尻垂坂の戦いで徹底的に破られている。
その後、越中国が織田信長の支配下に入ると、日宮城には信長の家臣・神保長住に与えられた。信長没後に覇権を掌握した羽柴秀吉が、あくまで従わない佐々成政を攻めるために天正13年(1585年)に越中征伐を行なった際、秀吉の宿営として日宮城が利用されている。その後は記録が無いため、廃城になった可能性が高い。
現在、城跡の周辺は水田となっており、城跡を示す遺構は存在しない。日の宮社と真言宗の薬勝寺が隣り合って建てられている。周辺一帯には多くの植物も生い茂っており、城跡は射水市指定史跡になっている。
アクセス[編集]
- 小杉駅からバス日宮城跡を下車してすぐ。