日向 是吉(ひなた これよし、? ‐ 天正10年(1582年)2月)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田氏の家臣。
別名は昌時。受領名は大和守。号は玄徳斎宗栄。
最初は武田晴信(信玄)に仕え、信濃国深志城代を務める。後に同国伊那郡の大島城の守将となった。信玄の死後は武田勝頼に仕える。
天正10年(1582年)2月、織田信長による武田征伐の直前に大島城を退去し、自身の所領である甲斐国村山に戻り、そこで自殺したという。