斎藤耕平

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斎藤 耕平(さいとう こうへい、天保9年(1838年) - 明治14年(1881年))は、日本男性内閣総理大臣海軍大将であった斎藤實[1]

略歴[編集]

父は斎藤貞雄で長男。母は斎藤艶。弟に斎藤陽之助

諱は高庸。幼名は軍記。父と同じく陸奥国仙台藩伊達氏の一族である水沢伊達氏留守氏)に仕え、小姓頭として近侍した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では父とともに白河口に出陣している。明治2年(1869年)に帰農し、寺子屋の師匠となった。その後、岩手県警察官として奉職したが、明治14年(1881年)に出張先の釜石において急死した[1]

妻は斎藤キク。その間に2男(長男・斎藤實、次男・斎藤省吾)に恵まれている。

脚注[編集]

  1. a b 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社、40頁

参考文献[編集]

  • 『「家計図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣(昭和・平成編)』(2017年7月。実業之日本社)ISBN 978-4408337180。