斎藤貞雄
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斎藤 貞雄(さいとう さだお、文化11年(1814年) - 明治15年(1882年))は、日本の男性。内閣総理大臣・海軍大将であった斎藤實の祖父[1]。
略歴[編集]
諱は高健。幼名は軍記。陸奥国仙台藩の伊達氏の一族である水沢伊達氏(留守氏)に仕え、小姓頭として近侍したという。明治維新後は家禄を失い、寺子屋を営んで毛筆づくりの内職をして生活費を工面したという。また、近所で後藤新平の父も同じように寺子屋を営んでいた[1]。
妻の斎藤艶との間に2男(長男・斎藤耕平、次男・斎藤陽之助)に恵まれた。耕平の子が斎藤實である。ただし長男の耕平にも先立たれている。貞雄は耕平の後を追うように明治15年(1882年)に68歳で死去した。