播磨新宮藩
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播磨新宮藩(はりましんぐうはん)とは、江戸時代前期に播磨に存在した藩。藩主家は外様大名の池田氏(1万石)。藩庁は新宮陣屋。現在の兵庫県たつの市(旧揖保郡新宮町)に存在した。
概要[編集]
この藩の藩祖である池田重利は、かつて織田信長との石山戦争で本願寺顕如に仕えて活躍した下間頼龍の子である。元の名は下間頼広と言ったが、かつての信長の家臣・池田輝政を舅にしていた頼広は、輝政を頼って池田姓に改正し、事実上の池田一門として摂津国川辺郡などに1万石を与えられて大名となった。
元和3年(1617年)、播磨揖東郡の中に1万石を与えられ、新宮を藩庁としたのでここに新宮藩が立藩する。その後、池田氏の支配が4代続くが、第4代藩主の邦照が寛文10年(1670年)に13歳で早世したため、無嗣断絶で播磨新宮藩は改易・廃藩となった。
その後、邦照の弟・重教が邦照の遺領の内から3000石を与えられ、江戸幕府旗本として家名は存続した。
歴代藩主[編集]
外様 1万石