指宿忠政

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指宿 忠政(いぶすき ただまさ、天文12年(1543年) - 寛永2年(1625年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将島津氏家臣[1]

略歴[編集]

父は指宿忠次。仮名は民部左衛門、清左衛門尉。島津家に仕え、豊臣秀吉九州征伐の際に山田有信に従って高城の守備を務めた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは有信の子・山田有栄に従って軍功を挙げ、薩摩国に帰国後は島津義弘から100石の知行を与えられている。寛永2年(1625年)、83歳で死去した[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b 三木靖「島津義弘のすべて」P228

参考文献[編集]