慶長記

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

慶長記(けいちょうき)とは、関ヶ原の戦いに関する史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者も成立年代も不明。ただし、大谷吉継をやけに賛美しているため、大谷氏の関係者の可能性がある。

成立年代については、少なくとも徳川秀忠征夷大将軍に就任した慶長10年(1605年)の記事があるため、それ以降となる。なお、原文では秀忠の将軍就任の年を「今年」としているため、これを信じるなら慶長10年に成立したことになるが、それにしては『石田軍記』や『関原軍記大成』に似た記事が非常に多いため、「今年」を用いることでその年に成立したと偽装した可能性がある。

なお、『慶長記』という題名は、太田牛一の『関原記』や『板坂卜斎覚書』なども別称を『慶長記』と称され、その他にもこの題名を用いる軍記などは多数存在するため、注意が必要である。

内容[編集]

上下2巻。織田信長の天下掌握から豊臣秀吉の死去までを簡単に振り返るように書いた後、本題である秀吉没後からの徳川家康の権力掌握について記録している。

上巻は関ヶ原の戦い本戦までを描き、下巻は石田三成処刑から秀忠の将軍就任、そしてそれが武運長久と国家泰平をことほいて語り収めている。

大谷吉継を賛美し、この著書ではまるで主人公のように扱われている。ただし、三成や秀吉については特に賛美しておらず、かといって家康を賛美したり非難したりする言も存在しない。吉継については、三成が挙兵しようとした際に懸命に諫めたり、吉継が北陸戦線で活躍したこと、関ヶ原における活躍などが描かれている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]