徳川斉礼

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徳川 斉礼(とくがわ なりのり、享和3年10月3日1803年11月16日) - 文政13年6月14日1830年8月2日))は、江戸時代御三卿一橋徳川家の第4代当主。第11代征夷大将軍徳川家斉の甥に当たる。

生涯[編集]

父は第3代当主の徳川斉敦で次男。母は側室の野尻氏。幼名は松之助。

文化13年(1816年)に父が死去したため、わずか14歳で家督を継いで第4代当主となる。ただし祖父で第2代当主の治済がなおも健在だったため、治済が後見していたと考えられる。

当主の間に武蔵下野にあった領地4万石を幕府に返上し、代わりに摂津越後備中で4万石を得ている。

文政13年(1830年)6月14日に28歳の若さで死去。実子は2人いたがいずれも早世。一橋徳川家の嫡系は絶えたが、伯父の田安徳川家当主・徳川斉匡の娘・近姫正室にしていた関係から、近姫の実弟に当たる斉位養子に迎えて家督を継承させた。


先代:
徳川斉敦
一橋徳川家当主
4代:1764年 - 1830年
次代:
徳川斉位