徳川斉位
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徳川 斉位(とくがわ なりくら、文政元年6月15日(1818年7月17日) - 天保8年5月7日(1837年6月9日))は、江戸時代の御三卿・一橋徳川家の第5代当主。
生涯[編集]
文政元年(1818年)6月15日、田安徳川家当主・徳川斉匡の4男として生まれる。母は側室の高月氏。幼名は郁之助、のち豊之助。第11代征夷大将軍・徳川家斉の甥に当たる。8歳の時に実子が早世して後継者が無かった一橋徳川家の第4代当主・徳川斉礼の養子となった。文政13年(1830年)に養父の斉礼が死去したため、13歳で家督を継承して第5代当主となった。18歳の時に家斉の27女で自身にとって従妹にあたる永姫と結婚する。
しかし天保8年(1837年)に、前年に死去した実父・斉匡の後を追うように死去した。享年20。
斉位には実子が無かったので、義兄で従兄に当たる第12代将軍・徳川家慶の5男・慶昌を末期養子に迎えて家督を継承させている。
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