徐宣 (魏)
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徐 宣(じょ せん、? - 236年)は、後漢末期から三国時代にかけての魏の武将・政治家。字は宝堅(ほうけん)[1]。
生涯[編集]
広陵郡海西県の出身[1]。はじめ孫策の招聘を受けるが断って帰郷する[1]。陳矯と同じ郡の出身だったことから共に郡の綱紀となるが、非常に不仲だったという[1]。海西郡と淮浦で反乱が起きた際、曹操の命令で賊を討伐してその家臣となり、県令や太守を歴任する[1]。212年に曹操が馬超を討伐した際には留守を預かり、文帝の時代には尚書に栄進し、明帝の時代には左僕射となり、侍中や光禄大夫の官位も加えられた[1]。236年に死去。
『三国志演義』には登場しない。